2月3日、節分の日。鬼のお面をかぶり、豆撒きをした懐かしき日々は、遙か昔。齢を重ね、すっかり薹が立った昨今、「立春?まだ真冬なのに。年中行事は旧暦でやればいいのに」などとうそぶきながら、ただただ、大豆と巻き寿司、イワシ
を食べるだけの日となっていました。が、今年は、いつもと違った過ごし方をすることに。友人の方に誘われて、寺社仏閣の節分を初体験することになったのです
(平日につき、Elliのみ。例によって、Takaはお仕事
。でも、夜は豪華飲み会
予定なので、こちらも一点の曇りなし
。)
行き先は、奈良公園。手向山八幡宮と東大寺二月堂。午前中、手向山八幡宮で御田植祭の祭事を見て、午後、二月堂での盛大な豆撒き、という予定です。
手向山と二月堂は非常に近く、効率のよい計画です。でも、ひょっとして、恐ろしい人出?豆捲き(厳密には、「豆拾い」?)に来ながら、その実、ごった返す人波に豆粒のごと洗われるのでは
?いえいえ、ニュースで観る東京や大阪の時の人が豆を撒く成田山などと違って、これは鄙びたあおによし奈良の都の古コトの儀。きっと雅びながらも牧歌的で、昔、何度か経験した新築家屋の棟上げで行われる餅投げのように、のどかに違いありません。ましてや、今日の舞台は、世界遺産に国宝の文化財。皆さん、おのずとゆったり気分
のはず。
期待と不安を胸に、奈良に到着。県庁の脇から先の土曜日の山焼きで黒焦げになった若草山を右手に見て大仏殿の前に出ると、鏡池が一面に凍り付いています。
何という厳しい寒さ。冬枯れてなお立派な樹木を愛でながら二月堂への参道を上ると、正面に手向山八幡宮の、小振りながら整った社殿が現れました。
時刻は10時半。
御田植祭まで30分あるのに、本殿前に張り出した舞台の真正面には、すでに人垣が。空いていた右側の最前列に陣取りました。開始時間が近づき、神主が本殿に上がって、祝詞を挙げています。
11時。舞台左の広場から、御田植祭の行列が出発。神主を先頭に、頭に牛の面を付けた男の子、翁の面を付けた田主役の男性、巫女姿の早乙女役の女の子6人、そして地謡衆。少人数ながら、雅な風情です。境内をまっすぐ進み、社務所の所で見えなくなったかと思うと、外を廻って、正面の門から再び入場。舞台に上がって、翁姿の田主一人を残して、左右両脇の円座に着座しました。
田主は、舞台の奥から本殿へ向かう通路に下り、所作を始めました。
背中を向けているのであまり見えませんが、両脇にある松に水を遣り、鼓を打って、神様を奉っている様子。
舞台に戻ると、鍬を手に田を耕し、鍬を置いて今度は鋤を持ち、牛役の童子のタスキを鋤に結んで、2人いっしょに舞台を一周。
正面に来ると、童子が「も~」と牛の鳴き真似。可愛いらしい
鋤いた土を馴らし、肥桶に見立てた常緑樹の輪を担いで肥をやり、籾殻に見立てた大豆を撒いて、最後に鍬で土をかぶせて、田主の御田植えは終わりました。
最後に、小さな早乙女達が舞台に並んで玉串を奉奠、神事は無事終わりました。まるで演劇のよう。立春に豆を撒くことで邪(じゃ)を払い、五穀豊穣を祈る節分の意義が、見ているだけで理解できます。
神事の後は、いよいよ豆撒き。
静粛な雰囲気は一転、争奪戦の始まり
。古式ゆかしい儀式の後で、みなさん神妙でおしとやかかと思いきや、とんでもない。帽子
を高く掲げ、飛んでくる豆を独り占めするべくキャッチする男性。地面にしゃがみ込んで、落ちて来た豆を拾いつくす女性。いずれも年配。
年期の入った、巧妙かつ仁義なき作戦にあっさり敗退しかけたElli。
なりふり構っては収穫ゼロになると、途中で気付き、一心不乱で豆を3袋確保。最後の1つは、後ろのお爺さんと奪い合うようにして、Elliが勝ち取ったのですが、その直後に「それちょうだいよ。
」と、手を出され(ご自分では1袋しか拾えてなかった様子)、あっさり渡してしまう自分がいました。うぅむ、このごろ「酒蔵みてある記」でも思い知らされていますが、おそるべし年長軍団。
時刻は12時過ぎ。二月堂で豆撒きの始まる午後2時まで時間があるので、今は閑静な(嵐の前の静けさ?)二月堂に登ってみました。
冬晴れの下、大仏殿と生駒山までよく見晴らせます。
右奥の手水舎には、氷が張り氷柱が垂れています。柄杓から垂れる水滴まで、氷柱になっています。水鉢を取り巻く龍も凍り付き、とっても寒そう。
二月堂を降りて、絵馬堂茶屋で昼食。白味噌仕立ての出汁がまろやかな絵馬堂うどんで温まり、再び二月堂へ。時間はちょうど1時。普段は立ち入れない二月堂直下の芝生の斜面が開放され、豆撒きの1時間前だというのに既に人がかなり入っています。普段なら他人事で通り過ぎますが、今日の目的はここでの節分行事。寒空に耐えて、私達もエリアに入ることにしました。
まだかなり空いているので、最上段へ。
それでも最前列はすでに人が並んでいて、Elli達は2列目。初めて真下から見上げる二月堂の舞台。迫力があります。天平風を残した柱の列が、リズミカルです。良弁杉も間近で、高さがよく分かります。
30分前になると、芝生の空間はほぼ人で埋まり、警備を担当する奈良県警から注意事項が、何度も何度もアナウンスされます。「一つ、自分が立っている場所から動かないで下さい。二つ、左右前後の人を押さないで下さい。三つ、傾斜があるので、自分の足下をしっかり確保して下さい。」すでに何度も奈良の有名寺院で豆撒きを経験してきた大先輩の友人、
「そんなん、一旦始まったら本能のままよ~。」
これがいかに達観した名言かは、先の手向山八幡宮で実感しつつあるElliでした。
午後2時、東大寺の住職やミス奈良が入場して壇上にずらりと並び、、豆撒きが始まりました。
みな一斉に臨戦体勢
に突入。奈良県警があれだけ繰り返していた注意事項は、各所でことごとく破られていきます。
這いつくばって拾い集める人々、帽子で空中キャッチする人々はさっきも見たけど、買い物用レジ袋をいっぱいに広げる人々は、いったい何?
ここの豆撒きは、色んな物が降ってきます。殻付き落花生、塩炒り空豆、あんパン、そして、拾えると本当に嬉しい福鈴。周りの人はすでにいくつか拾っているのに、Elliのところには全く何も降ってきません。
なんと、すぐ前のお爺、こともあろうに両手で帽子を頭上高く掲げて、虫取り網状態。空中で全て捕獲してるではありませんか。まるで、悪徳漁船団の一斉底引き網のよう。
お爺のブラックホール帽子
に全て吸い込まれ、何も飛んでこない状態に、さすがにぷっつん
切れたElli。思わず「帽子ずるい~!
」と声を上げ、帽子お爺の足の間に腕をつっこみ、お爺の足下に落ちた落花生を拾い獲っていました。。。
Elli、友人の方の言葉の如く、不惑を過ぎて初めておのが本能を見たのでした。その後は何とか要領を得、あんぱん2つ、落花生3袋、空豆2袋、福鈴1つを確保できたのでした。
しかし、上には上がいらっしゃるものですね。気がつけば、最前列の人のさらに前の急斜面に飛び出して、拾い廻っている猛者も数人。Elliの前に立ちはだかった帽子お爺も、目の前で急斜面を駆け廻るおばさんに、すっかり腰砕けになっていました。
争奪戦も加熱気味となった頃、豆撒きは終了。ついさっきまでの乱闘が嘘のように、人波は引き潮の如く境内から退けて行ったのでした。
戦い済んで日が暮れて
不思議なのは、その後のすがすがしい気分。時間限定の解放区の後で、普段は眠っている心身の生存エネルギーを放出した後は、心身共にすっきり晴れ晴れ。これが太古から続く無礼講の祭りの効用なのでしょうか。節分の「鬼は外」とは、自分の内なる鬼を表に出し、追い払って浄化することなのでしょうか。深い真理を学びました。
昂揚の後は、お茶でしっとりほっこり。
二月堂から続く土塀の参道を下り、大仏池を過ぎた所にある「工場跡」カフェに入りました。
その昔、フトルミンという乳酸菌飲料を作っていた工場の建物を再利用しています。工場といっても、現代のコンクリートの無機的な建物とは違い、木造の大正レトロな暖かみのある建物。紅茶も美味しく、ゆったり落ち着いた時間を過ごし、賑やかな一日の穏やかな締めくくりとなったのでした。
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