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2011年3月27日 (日)

賀名生(あのう)の里逍遙

 月ヶ瀬散策から2週間。あの日、月ヶ瀬観光協会曰く7分、素人目には3分の梅は、今こそ満開を迎えた模様。しかし、Takaに再訪の志は毛頭ありません。曰く、「月ヶ瀬チマチマしとるよの。梅林とは、山一面に広がっとるのではないのかの。」「確かに1カ所1カ所はこぢんまりしてるけど、渓谷とか赤い橋とか、景観と梅の取り合わせが絵になるやん。」「そんなことでは、惹かれぬよの。やはり一面に広がってないと。和歌山の南部まで行くかの」
 う~む、どうやらTakaは文人墨客にはなれないようです。いずれにせよ、温暖な紀州、南部の梅はとうの昔に終わっています。Takaのイメージ通りのパノラミックな梅林は、近隣にないのか?奈良交通の観梅バスのチラシを見ると、「賀名生(あのう)」なる地名が載っています。調べてみると、その本数、2万本。月ヶ瀬でも1万本なのに、その2倍。しかも、Takaが敬愛する(?)後醍醐天皇ゆかりの南朝御所があった所。いったいどんな所?開花状況も、月ヶ瀬と同じく、見頃のよう。今日は、こちらを訪ねてみることにしました。

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電車からバスの乗り継ぎが不便なため、家から車で向かいます。途中、五条の柿ノ葉寿司店でお弁当を調達、梅林入り口の「口の千本」付近の無料駐車場に車を止めました。

20110327_anou_02  散策の前に、歴史民俗資料館を見学。南朝だけでなく、天誅組にもゆかりがあるのですね。奈良の南部は、胎動する歴史を秘めています。資料館の隣には、南朝の天皇が住まった皇居跡があります。堀増信というこの地の名士の邸宅を、皇居として使ったもので、門構えの中の住居は、予約しないと見学できないのが残念。それもそのはず、今も堀家の子孫の方が暮らしておられるそうです。この地方の歴史の蓄積を感じます。

  いよいよ梅林の散策へ。「一目千本」と呼ばれる辺りから、歩き始めます。広大な山の斜面に、梅の林がうねるように広がっています。まさに、山全体が梅。吉野山の桜を思い出します。折しも、満開。着いたときは空を覆っていた雲も晴れ、青空が広がっています。梅の花霞です。

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 梅の波の中に散らばるように、民家が点在しています。賀名生の梅は観賞用ではなく、果実を採るための作物。観梅で歩く道は、この土地の生活道。土産物屋はおろか、茶屋も一軒しか見かけません。ほんものの「梅の里」です。

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 見返り千本から東雲千本、奥の千本へと進んだあたりで、東の空に雪を被った山が浮かんでいます。大峰山系、山上ヶ岳と稲村ヶ岳です。

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20110327_anou_10 こんなに近くに見えるのですね。主要道(?)から分かれた道の脇で、お弁当を広げ、昼食。甘味など欲しいことよ、と目をこらすと、行く手に「草餅」の幟が立っています。農家の方が、この時期だけ茶屋を出しているようです。自家製の柚子茶は、自然のやさしい風味。茶屋の方が火鉢で香ばしく温めてくれた草餅は、よもぎの味がしっかりしています。
 西の千本と呼ばれるこの辺りは、茶屋の方の話では賀名生梅林で一番眺めのよい所だそう。その話の通り、遠くの空に大峰山をのぞみ、遙か山裾まで梅林の重なる様は、鄙びつつも雄大な空間です。
 西の千本の坂を下り始めると、軽トラックのおじさんが散策ルートに沿って立てられた「梅祭り」の赤い旗を片付けていっているではありませんか。梅祭りは、本日夕刻までのはず。しかも、今はまだ昼過ぎ。これから上ってきている人もいます。何の変哲もない生活道をあるく観梅客にとって、道ばたに並んだ赤い旗は唯一の道しるべなのに、なんという商売っ気のなさ(@_@)。こののどかさが、たまりません。
 口の千本まで降りてくると、道の脇の空き地に、草餅の売店が出ていました。我々が歩き出した頃にはなかったので、お昼前開店でしょうか?あまりメジャーにならず、こののんびり感が、いつまでも続いて欲しい物です。

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